薫風や大文字を吹く神の杜
明治30(1897)年の句。先日紹介した柳原極堂の句碑が建てられた松山の井手神社に前からある子規の句碑に刻まれています。「大文字を吹く」。これ読んで分かる人はどれぐらいいるでしょう?私は分からなかったです。大きな文字を書いて奉納
この神社には天満宮を祭ってあり、毎年祭礼の時に字が上手になるように、と子供たちが競って大きな文字の墨書を奉納する風習があったそうです。妹の律と河東碧梧桐が子規を回顧した「家庭より観たる子規」で2人は次のように語り合っています。(碧)立花神社の大文字-私どもでは、オモジと言っていました。お祭の日に大きな字を書いてあげると、手が上手になるという、昔の話らしい習慣、あれも無論お書きになったのでしたね。
(律)おもじ、私ども女は、オモウジ、と長く引張つたように思います。兄も、きょうはオモウジの日だと、というと、其の日に限って、判紙をついだりしないで、唐紙と言ひましたがか、大きな一枚紙を買って来て書いたりしました。
大きな大きなものをこしらえて
律だけではなく母八重もこのように振り返っています。大文字というて大きに字を清書してあげると、手があがるというので持っていきよりました(この習慣今なお存せり)が、升は唐紙や画箋紙などへ二、三人のよせ書きをして大きな大きなものをこしらえて、松の木の枝などへ吊るのを楽しみにして居りました。(母堂の談片)
小さい頃から伯父のもとへ手習いに通っていましたから自信もあったのでしょう。張り切る子規の姿が目に浮かびます。母にも妹にもそんな子規の姿が懐かしく、彼を振り返るのに欠かせないエピソードの一つだったようですね。
律と八重の話は、河東碧梧桐「子規を語る」に付録として収録されています。八重の談話は、子規が亡くなってまだ間もない明治35(1902)年11月3日付に新聞「日本」に発表されました。碧梧桐が取材したものです。引用カ所にあるように、この頃はまだ大文字の習慣が残っていたようですが、30年ほど経った昭和8(1933)年の「家庭より観たる子規」では碧梧桐は「昔の話らしい習慣」と言っています。いつ頃まで続いていたんでしょうか。
こういう廃れてしまった、もしくは地域独特の習慣や、その時代でしか分からないものを詠み込まれると後世の人間にはピンと来ないことがありますよね。仕方のないことですが。
参考文献「子規を語る」(岩波文庫)
スポンサーリンク
スポンサーリンク





