2017年05月21日

子規の俳句④寝ころんで書読む頃や五六月

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寝ころんで書読む頃や五六月

明治29(1896)年の句。「寒山落木 巻五」に入っています。読書の秋などと言いますが、さわやかな初夏にのんびり読書にふけるのもいいもんです。私も枕元に積み上げた子規関係の本を適当に取ってはページをめくって楽しんでいます。

子規はこの句を詠む1年前、日清戦争の従軍記者となって現地に赴き、病気を一気に悪化させました。松山での療養を経て秋に東京に戻り、俳句革新などの文学活動を活発化させていきました。

こんなに大望を抱いて死にゆく者がいようか

ただ明治29年2月には左の腰が腫れて寝たきりになります。3月17日には医師にカリエスと初めて診断されショックを受けます。この日、虚子に宛てた手紙では「貴兄驚き給ふな僕ハ自ら驚きたり」と書き始めます。

覚悟は決めていた。今更驚くこともないともないと思っていたけれども、驚いた。しばらく言葉が出なかった、と打ち明ける子規。その間、頭に浮かんだのは「自分ほど大きな望みを抱いて死んでいく者はいないだろう。俳句では多少の野心を持っているが、たとえそれが叶ったとしても自分の望みの大きさからすればゼロに等しい」という悲痛に満ちた思いでした。

苦しみを忘れさせてくれるものは

この苦しみを忘れさせてくれるものはないか、と子規が引っ張り出したのは虚子がつくった回覧雑誌でした。子規には、声を上げて笑うほど面白かったそうです。

その後も句会を開いたり、和歌の研究を始めたりするのですが、読書の楽しみもまた病中の子規には欠かせないものでした。

五月は厄月

そもそも五月は子規には「厄月」と言うべき月でした。最初に大量喀血したのも五月、日清戦争の帰りの船で喀血し、死にそうになったのも五月。だから明治32年には「余の重患ハいつも五月なれは」と前書きして「厄月の庭に咲いたる牡丹哉」という句を作っています。明治33(1900)年には「山吹は散り菜の花は実になりて五月一日われ厄に入る」という短歌も詠んでいます。「墨汁一滴」にも「五月はいやな月なり」(明治34年5月15日)と書いています。

緑が深まるとともに命の輝きを感じさせる五月は、子規には不吉な季節でした。ただ掲出句を詠んだこの時期ばかりは、医師の宣告を受けたショックも乗り越え、のんびりと読書を楽しむゆとりを取り戻していたのかもしれません。句を詠んだ背景はともかくも読書好きには共感しやすい爽やかな一句ではないでしょうか?

参考文献 「子規全集第2巻、11巻、19巻、22巻」(講談社)、「子規歌集」(岩波文庫)

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posted by むう at 01:32| Comment(0) | 子規の俳句・短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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