星の恋念も残らず別れけり
みなさんこんにちは。「文アルの続きを」と思ったのですが、今日は七夕なのでそれらしい話にします。子規には七夕の句がたくさんあります。この句なんかどうでしょう?明治29(1896)年の作品。子規には珍しくロマンティックですよね。年に一度の逢瀬を終えてまた別れていく織姫、彦星の心情を「星の恋」と言っちゃうところがいいですね。声に出して読んでみると何だか気恥ずかしくなりますが。
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妹に七夕星を教へけり
こちらは明治32年の作品です。「あれが織り姫、あっちが彦星ぞな」。ベガとアルタイルを指して律に教えてあげる子規。ほほえましい光景が浮かんできます。
子規の「恋」
「写生とか言ってて、正直、読んでもピンとこないことが多い。抒情的というか、ロマンティックなものがいいと思ってしまう」と、俳句をたしなむ女性に言われたことがあります。「バカ、ふざけんな!何も分かってない。子規はなあ…」と言いそうになるのを抑えて、「恋」という文章を読んでみてください、子規のイメージが変わるかもしれないから、と大人の対応をしました。
「恋」は明治32年に「ホトトギス」に発表した随筆。「子規全集(講談社)」の十二巻に収録されています。ストレート過ぎるタイトルの通り、子規の恋愛観を垣間見ることができます。
「八百屋お七」に共感
ここで子規は、世に名高い恋の話の中で自分が惹かれるのは八百屋お七の恋だと書いています。火事にあって避難したお寺で恋に落ちたお七。再建された家に戻ったけれど、寺で出会った吉三のことが忘れられず、「もう一度火事が起きれば逢えるかもしれない」とまで思い詰めて実際に放火して処刑されました。江戸時代前期の実話。西鶴の「好色五人女」に取り上げられ、有名になりました。
「いぢらしくてたまらん」
子規は、お七の心情に「いぢらしくていぢらしくてたまらん処(ところ)がある」と言い、彼女の中にあったのは「神の様な恋人とそれに付随して居る火の様な恋」だけであり、この恋を妨げるものがあったなら「家であらうが木であらうが人であらうが片端からどしどし打毀(うちこわ)して行くより外は無い。此恋が成功さへすれば天地が粉微塵コツパイになつても少しも驚きはせぬ」という気持ちだったと分析しています。お七が自分の罪の重さに思いをはせたときに何を考えたか。子規は「吉三は可愛いと思ふて居た」と書いています。お七のような、ブレーキの壊れた恋に走ってしまう気持ちに共感する子規。お七の恋に負けないぐらい惚れた相手が子規にもいたのでしょうか?恋は盲目とばかりに突き進む経験をしていたら、どんなエピソードを残してくれたでしょう。そういう子規も見たかったなあ。
俳句の話、ほとんどしてない…。七夕は実は秋の季語で…もういいですね。やめときます。ではではまた。文アル頑張ります!
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