夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる
久々の更新です。今日は夏至ということで、この句を選んでみました。「寒山落木」に収められている明治29(1896)年の句です。「病苦安眠せず」という前書きがついています。スポンサーリンク
自分一代では…
前年、正岡子規は日清戦争に従軍記者になり、著しく体調を悪化させた子規。松山での療養を経て秋には東京に戻り、俳句革新に向けた活動を活発化させました。とはいえ自身の余命を意識しながらのこと。到底、自分の目標を完遂させることなど無理だと自覚がありました。「後継者を育てたい」と思った子規でしたが12月には高浜虚子に「文学を志す気持ちはあるが、後継者になるのは嫌だ」と断られたのでした。命と競争
年が明け、2月には脊椎カリエスとの診断を受け、3月には手術を受けました。夏までの足跡をみると、人力車で上野を一周したり、新聞「日本」に随筆「松羅玉液」や「俳句問答」の連載を始めたり、虚子にはしばしば小言を言ってみたり。和歌の研究を始めたのもこの明治29年の夏でした。命と競うかのように精力的な活動を続けながらも病苦と残された時間への思いとの狭間で「吾に寝ぬ夜の長くなる」と詠う子規。けれど安眠できない自分のことなどお構いなしに季節は移ろい徐々に夜長の季節へと向かっていくのです。「ノボさん、たまにはゆっくり眠ってよ」と言いたくなってしまいます。夏は病者の体力も奪います。この年にはこんな句も詠んでいます。
夏毎に痩せ行く老(おい)の思ひかな
30歳(数え年)の男性の句とは思えませんよね。普通なら働き盛りを迎えるというのに子規は「老い」を感じざるを得なかった。今年の夏は越せるのか、来年の夏は…。虚子に後継者の件を断られた直後、松山出身の俳句仲間で新聞「日本」の同僚だった五百木飄亭に充てた書簡で痛憤の思いを打ち明けています。
「死はますます近きぬ 文学はやうやく佳境に入りぬ」
参考文献「子規全集」(講談社)22巻ほか
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