子規が上京するまで過ごした旧居跡
正岡子規幼少期の豆知識(1)の続きです。
好物はカボチャ
大食いで知られる子規ですが、母八重の談話によると、小さい頃の好物はカボチャでした。柳原極堂の「友人子規」には父の実家佐伯の伯母の次のような談話が紹介されています。
升さんが幼少の頃遊びに来られて御飯時に膳を出すと「オバタン」「カボタ」があるかな、などと片言いつて一同を笑はせたものださうです
八重の談話をまとめた「子規居士幼時」にも出てきます。
其処(※佐伯家)へ月に二三度行くのを楽しみにして居たが佐伯で何が一番好きかといふと南瓜が一番好きだといふ事でした。菓子物は小児の時から矢張好きでありました。
ただカボチャ好きの理由について、妹律は経済的理由からそうなったとしています。
それから稚い時分、南瓜が好きだったとか言いますが、何分貧乏士族のことで、ロクに魚類などよう買わなかったせいもありましょう(家庭より観たる子規)
朝寝坊
子規は小学校に上がる前に祖父大原観山の私塾に漢文を学びに通いました。朝5時ごろ起きなければいけないのですが、子規は起きません。毎朝、母八重がミカンやお菓子を握らせて起こしていたそうです。ほんとに小さい頃から食べ物が好きだったんですね。左利き
子規は左利きでした。子供のことからの正月を振り返った「新年二十九度」によれば、数えで八歳のときの正月、観山の塾稽古始めで食事会になったとき、子規が左箸なので、観山に左端に座れと言われたそうです。母も「大原の祖父が、お前はお客に往っても左りへお坐りよ、そうでないと、まんなかでは人の邪魔になるけれ、というて居りました」(母堂の断片)と語っています。「子規居士幼時」も含めた八重の話では、小学校でも先生が叱ったり、友達が笑ったりするので弁当を持って行かず、持って行っても食べずに持って帰ったりしていたそうです。
八重は子規晩年の病床生活には左が利いたことを重宝したとも語っています。右側が痛いときは左で、ということでしょうか。子規もどこかで似たようなことを書いていたような気がするのですが、私の勘違いなのか、出典がパッと出てきません。ちなみに親友夏目漱石も左利きですね。
かるた大好き!
以前、子規が男の子らしい遊びは苦手だったという話をしました。明治31(1898)年、31歳の時に書いた「吾幼時の美感」で、子規は雛人形や七夕の色紙の短冊に美しさを感じ「一年の内にてもつとも楽しく嬉しき遊び」と書いています。妹が正月に柳の枝に手まりを飾るのも嬉しく、自分でやったこともあったそうです。子規九歳のとき、上京した叔父の加藤拓川に歌がるたを贈られました。子規が頼んだのです。このかるたは、みんなが正岡家には過ぎた品だというぐらいの高級品で、子規は「年々の正月を待ち兼ねたり」と、いたく気に入りました。相手がいない時は自分で読んで自分で札を取って一人でかるた遊びを楽しむほどでした。そんな自分を「昔より女らしき遊びを好みたるなり」と振り返っています。
参考文献 柳原極堂「友人子規」(博文堂書房)、河東碧梧桐「子規を語る」(岩波文庫)、「子規全集」(講談社)十二巻、別巻二
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