子規山脈③虚子·碧梧桐
2017年05月16日

子規山脈③虚子·碧梧桐

高浜虚子(1874-1959)

松山出身の俳人。本名清。河東碧梧桐とともに子規門下の双璧をなした人。柳原極堂が創刊した「ほとゝぎす(のち「ホトトギス)」を東京で引き継ぎました。子規の生前、「後継者に」と望まれた際には断って思いっきり落胆させていますが…。自立した一人の文学者たらんとの思いがあったのでしょう。でも、真意を内に秘めて安心させてやるとかできなかったのかなあ。正直すぎです。

漱石をプロデュース

子規没後は夏目漱石の「吾輩は猫である」などを掲載し、漱石が文豪への道を歩むきっかけを作りました。

花鳥諷詠、客観写生

一時俳壇を離れますが、かつての親友碧梧桐の新傾向俳句と対峙せんと復帰。「花鳥諷詠」「客観写生」の理念を提唱し、「ホトトギス」を大きく発展させ、俳壇の最高権威となりました。

子規逝くや十七日の月明に

子規が亡くなった時に詠んだ句です。命日の9月19日は新暦。旧暦では8月18日です。子規は旧暦8月17日の朝から容態が悪化。その夜、日付け変わって午前1時ごろに亡くなりました。なので看取った人の感覚では「十七日の月明」となったわけです。

河東碧梧桐(1873-1937)

松山出身の俳人。本名秉五郎(へいごろう)。父は藩校明教館教授河東静渓。子規は松山中学時代、友人たちと静渓宅に通いに漢学を習っていました。

俳句の可能性を追求

虚子を誘って子規に師事、めきめきと頭角を現していきました。子規は虚子を「熱き事火の如し」、碧梧桐を「冷やかなる事氷の如し」と評したそうです。子規没後は新聞「日本」の俳句欄選者になりました。五七五調にとらわれず、個性を重視する新傾向俳句に傾倒して宣伝のために全国行脚。自由律、ルビ俳句などにもチャレンジし、「花鳥諷詠」「客観写生」を掲げる虚子と対立しましたが、昭和8年に引退を発表しました。書家としても有名です。

無邪気で美しさに充ちていた時代

子規没後の「日本派」俳句の主導者の地位を約束されながら、芸術性を追求しようと試行錯誤を重ねていった碧梧桐。晩年に次のような文章を書くに至ったかと思うとちょっと切なくなります。

「子規の没後年と共に平凡化して行く、今の碌々たる自分の人生を顧みて、当時子規を驚かせた時代が、自分の一生の中、最も華やかで純粋で無邪気で無我な美しさに充ちていたとしか思われない」(岩波文庫「子規を語る」)

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