子規の俳句②ラムネの栓天をついて時鳥
2017年05月09日

子規の俳句②ラムネの栓天をついて時鳥

ラムネの栓天をついて時鳥

子規にはホトトギスの句が多い。試みに子規記念博物館のデータベースで検索すると300句ほどありました。

ホトトギスは喀血の代名詞。俳号に子規(ほととぎす)を用いるようになった経緯は以前の記事に書きましたが、喀血後の暮らしの中でもやはりホトトギスを意識することが多かったということでしょうか。

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新旧の取り合わせ

この句は子規の自選句集「寒山落木」巻一、明治24(1891)年夏の項に収められた一句。西洋の文物がどんどん取り入れるようになった時代。ラムネはどの程度普及していたのでしょうか。新しいもの好きの子規らしい句です。

古に恋ふらむ鳥は霍公(ほととぎす)けだしや鳴きし吾が思へる如(ごと) 額田王

姿が見えず声だけが聞こえるホトトギスは、万葉の昔から親しまれてきた季題の一つ(たぶん)。そこに新時代のラムネを取り合わせたところがみそ(な気がする)。「天井をついて」はオーバーな表現かもしれませんが、新鮮な驚きが込められていますよね。

日本初のラムネの句?

初期の俳句を収録した「子規全集」(講談社)1巻の解題によると、子規の作句数が爆発的に増えていくのは俳句革新に乗り出した明治25年。前年の441句(抹消句含む)から一気に2533句に増え、26年には4600句を超えています。

ラムネの句は、子規が俳句を量産する時期の少し前。厳密に調べたわけではありませんが、子規が西洋由来のものを詠んだ最初の句。カタカナ表記を使った句としてもこれが初めてのようです。ひょっとしたら日本で初めての「ラムネ」の句だったりするかもしれません。季重なりが気になる人もいるかもしれませんが、当時は季語ではなかったはずなので野暮な突っ込みはやめてくださいね(笑)。

信長、秀吉、家康、三英傑に対抗?

明治26年にはこんなホトトギスの句を作っています。

鳴かぬなら鳴かぬと鳴けよ鵑

信長、秀吉、家康の「鳴かぬなら~」をもろに意識した句ですよね。いつも突然鳴く。声を待っているのに聞こえないじゃないか。どこにいるんだよ、鳴かないなら鳴かないって言っておくれよ。こんな感じですか?面白いと思ったのですが、「寒山落木」の抹消句です。

ちなみにこの時期の子規ですが、明治24年は帝国大学文科大学哲学科から文学科に転科したり、小説を書いたりします。小説はうまく行かず、翌年には詩人として生きる覚悟を固めて新聞「日本」に「獺祭書屋俳話」などを連載しました。この年に退学を決意。日本新聞の社員となり、母八重と妹律を東京に呼び寄せました。26年からは記者として、あるいは俳句の革新者としての道を本格的に歩み始めていくのでした。

参考文献「子規全集」(講談社)1巻、22巻

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posted by むう at 19:38| Comment(0) | 子規の俳句・短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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