2017年08月20日

俳句の日に子規俳句を考えた


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8月19日

8月19日は俳句の日です。最近、放置気味でしたが、何か書かねばと日付が変わりそうになってからあわてて書き始めました。

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美術の概念を文学に

子規の俳句と言えば「写生」のイメージが強いですね。子規の写生論は美術の概念を取り入れたものです。子規が西洋美術の写生、いわゆるスケッチの概念を知ったのは明治27(1894)年。知人の画家中村不折に教わりました。

写生散歩

子規は、この年の秋の終わりから冬の初めにかけて、手帳と鉛筆を持って毎日のように根岸郊外を散歩し、句想を得ては手帳に書き付けました。当時のことをこう振り返っています。

「写生的の妙味は此時に始めてわかつた様な心持ちがして毎日得る所の十句二十句位な獲物は平凡な句が多いけれども何となく厭味がなくて垢抜がした様に思ふて自分ながら嬉しかつた」(獺祭書屋俳句帖上巻)

写生と俳句の相性の良さを実感した子規は、この概念を核の一つとして俳句革新につなげていきました。俳句で写生の有用性を確認した子規は短歌や文章にも写生の概念を持ち込み、それぞれの近代化を押し進めたのでした。

空想の句もOK

もっとも子規は写生万能主義だったわけではなく、写生に傾けば平凡に陥りやすくなることも自覚し、空想の句も認めていました。

そうでないと、晩年寝たきりだった子規の俳句は病牀周辺の世界に限られてしまいます。そんなのつまらないですもんね。

例えば「仰臥漫録」の最後の方に載っている「病床口吟」は室内、室外の2パターンで6句ずつ詠んでいます。例えば室外の句はこんな感じです。

枯尽くす糸瓜の棚の氷柱哉

写生句ここにありといった句です。同じく「仰臥漫録」に「読吉野紀行」と前書きのついた連作があります。吉野紀行は芭蕉の「笈の小文」のことでしょうか?判然としませんが、とにかく「吉野紀行」とやらを読んで、花盛りの吉野に思いをはせて16句も作っています。

花の山足踏み鳴らす登り口
案内者も我等も濡れて花の雨

たとえ寝たきりだってこのように花見に行けるわけです。空想を膨らませて俳句や短歌を作る。子規にとっては病床の自分を慰める楽しみの一つだったに違いありません。

うーん、19日のうちに更新したいと思ったら、やっぱりやっつけ仕事くさくなってしまいました。しかも間に合わなかったし(笑)。

やけくそついでにもう一つ俳句の日の話題。松山では19日に俳句甲子園が開幕しました。20回の節目。子規、漱石生誕150年記念大会の今年はどこが優勝するかも気になりますが、私はのぼさんや夏目先生たちが出場する俳句甲子園を見たいです。私は。
参考文献 講談社「子規全集」5、22巻 岩波文庫「仰臥漫録」

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posted by むう at 00:14| Comment(0) | 子規の俳句・短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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