2017年05月01日

子規の生涯③芭蕉崇拝を批判

偶像破壊

血を吐いて、寝たきりになって…。病弱。弱々しい。正岡子規についてそんなイメージを持っている人が多いかもしれません。

でも実際の子規は強い人でした。特に精神的な強さは特筆すべき点だと思います。例えば子規は俳句革新を進める手始めに芭蕉をただただ崇拝する風潮を批判し、偶像破壊にチャレンジします。

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「俳句分類」と俳句革新

喀血から2年後の明治24年(1891)年ごろから子規は「俳句分類」に着手していました。古今の俳句に目を通して季題や内容によって分類していく。半端なく気の遠くなる作業。よく実行に踏み切ったものです。実は、これが一番すごい子規の仕事ではないかとも思っています。

子規は、この作業と並行して明治25年に新聞「日本」に「獺祭書屋俳話」を連載し、「このままでは俳句や和歌は明治の間に滅びる」と危機感をあらわにし、俳句革新の第一声を上げました。翌年に連載した「芭蕉雑談」ではさらに大胆に旧態依然とした俳句界に挑戦状をたたきつけました。

芭蕉を一刀両断

元禄から200年。芭蕉は宗教の教祖のような位置に祭り上げられていました。「古池や蛙飛び込む水の音」などは俳諧に興味のない人でも知っているほど人口に膾炙し、芭蕉と言えば誰もがありがたがる。そんな雰囲気が定着していたようです。

子規はそんな風潮を「何も考えずにあがめ奉っているだけじゃないか。作品を見ろよ。本当に句の良さが分かってありがたがっているのか?」みたいな感じで批判し、「芭蕉の俳句は過半悪句駄句を以て埋められ 上乗と称すべき者は其の何十分の一たる少数に過ぎず」と一刀両断します。芭蕉が残した千句あまりのうち、いい句と言えるのは二百句程度に過ぎないと断定するなど、「俳句分類」に裏打ちされたデータと見識をフルに活かして鋭い論法で芭蕉論を展開していきます。

芭蕉の良さは?

子規は、佳句が少ないからといってそれが芭蕉をおとしめることにはならないとも言います。芭蕉のよさは古人のまねをするでもなく、貞門や談林派の改良型でもなくオリジナルの俳句を確立したところにあると、評価しています。蕉風確立後、芭蕉は十年しか生きておらず、しかも詩境がピークを迎えたのは晩年の数年なのだから、なんだかんだ言っても佳句を残したすごい俳人じゃないか、というのが子規の芭蕉のとらえ方でした。

著名な作品も俎上に乗せて論じています。「古池や」の句は、禅の境地だ、なんだと言うけれども、ただ音が鳴ったのをありのまま詠んだけ。善し悪しを超越した句だ、などと、どっちつかずな感じですが、子規は技巧的な句や理屈っぽい句を否定し、「雄渾豪壮」な句が良いとしています。例えば「物いへば唇寒し秋の風」は、ただの教訓に過ぎないと批判。「荒海や佐渡に横たふ天の川」は勇壮だとほめています。何かを主張をする時に共感を得るためにはどう展開していけばいいのか。論戦のお手本にもなりそうです。

鑑賞力を磨こう!

芭蕉にだっていい句も悪い句もある。子規は「それぞれが自分の感性で鑑賞し、判断するべきじゃないのか」と言っているようです。後の「俳諧大要」で言うところの「美の標準」を読み手もしっかり身につける必要があるといったところでしょうか。作品の作り手だけでなく、受け手も刮目することがなければ俳句の革新は進まない。そんなことを考えていたのかもしれませんね。

子規のやったことがどんなことだったのか。例えば手塚治虫を正面からこき下ろすと言った感じでしょうか。現在のように何に対しても批評・批判が活発に行われる時代ではなかったでしょうし、相当な勇気と覚悟が必要だったはずです。読めば周到に準備をしていたことも分かりますし、やっぱりすごいなぁと思ってしまうのでした。子規はのちに短歌でも同じ事をして敵をつくって苦労するのですが、それはまたいずれ。

参考文献「子規全集」(講談社)4巻(講談社)

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posted by むう at 18:58| Comment(0) | 子規の生涯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子規の生涯②「啼血始末」

被告子規

初回に続いて喀血の話を続けます。子規は書くことでこの出来事に立ち向かおうとしました。喀血から4カ月後、明治22(1889)年9月に書かれた「啼血始末」という戯作文があります。

「啼血始末」は結核になった子規が地獄の法廷に連れ出されて喀血について裁かれるという設定。閻魔大王が判事、赤鬼と青鬼が検事です。喀血したことに対する心境だけでなく学生子規の暮らしぶりも述べられていて興味深いです。一部を紹介します。

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食いしん坊!

判事「東京へ出たのは何時のことだ」
被告「明治十六年でございます」
判事「其後健康の有様はどうだ」
被告「出京後は誰も制限する者がありませぬから、無暗に買ひ喰をして益々胃をわるくしました。毎日々々何か菓子を喰はぬと気がすまぬ様になりますし おひおひ胃量も増してきまして六銭の煎餅や十箇の柿や八杯の鍋焼饂飩などはつゞけざまにチョロチョロとやらかしてしまひます 併し一番うまいのは寒風肌を裂くの夜に湯屋へ行きて帰りがけに焼芋を袂と懐にみてて帰り 蒲団の中へねころんで 漸く佳境へ入るとか 十年の宰相を領取すとかいってゐる程愉快な事はありません。イヤ思ひ出しても……」

どうですか、この食欲。「仰臥漫録」を読めば、晩年まで旺盛な食欲を保っていたことが分かりますが、若い頃からやっぱり食いしん坊だったんですね。

勉強は苦手?

赤鬼「コリヤさう涎を垂らしてはいかん 其方は前に表へ出るのはきらひだといったが始終内に居て読書でもしてゐたか」
被告「イヤ余り読書もいたしません 詩を作りますばかりで其余はどうしてくらしたが覚えません 殊に学校の課業を復習するは一番の嫌ひで 暗記すべき課業は鬼よりもイヤお鬼様よりもいやでございました」
青鬼「そんなことをいふと其方の為にならぬぞ 出京後はどうであった」
被告「出京後も同じことで学校の課業は勉強したことなし 前の日に取て帰った包を其まゝにあけもせず翌日持て行きて 本が違って居て叱られてゐました 落第などをやらかしたこともありました 落第して楽体になった抔とむつかしく洒落てゐた様な横着物です」

ダジャレでごまかしていますが、学校の勉強は嫌いだったのでしょうか?子規はベースボールが好きでしたから、地獄にも野球ができるほどの広い場所があるか?なんて尋ねたりもしています。最初から最後まで客観的に自分の来し方を見つめ直しているのですが、病気になった原因を問われて、こと細かく陳述している部分などは本当にすごいです。

今より十年の生命

時に自分自身さえも茶化しながら法廷ドラマを書く。ユーモアのおかげで悲壮感は軽減されていますが、子規にとっては冷静に己の状態を見つめ直す作業でもあったろうと思います。

赤鬼の求刑は「今より十年の生命を与ふれば沢山なり」というものでした。
「今より十年の生命」。こう書くことで子規は自分の運命を受け入れ、何事かを為さんとする覚悟、決意を固めたのです。ここから文学への傾倒に拍車がかかっていくのでした。

ちなみに「啼血始末」の最後は閻魔大王の「宣告は追ってするであらう」との言葉でしめくくくられています。それから12年後、子規は「墨汁一滴」で「地獄からの迎えが来ない」と閻魔をからかっています。伏線回収をきちんとしているのも面白いですよね。

参考文献 「子規全集」(講談社)9、11巻

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posted by むう at 12:06| Comment(0) | 子規の生涯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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