被告子規
初回に続いて喀血の話を続けます。子規は書くことでこの出来事に立ち向かおうとしました。喀血から4カ月後、明治22(1889)年9月に書かれた「啼血始末」という戯作文があります。「啼血始末」は結核になった子規が地獄の法廷に連れ出されて喀血について裁かれるという設定。閻魔大王が判事、赤鬼と青鬼が検事です。喀血したことに対する心境だけでなく学生子規の暮らしぶりも述べられていて興味深いです。一部を紹介します。
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食いしん坊!
判事「東京へ出たのは何時のことだ」被告「明治十六年でございます」
判事「其後健康の有様はどうだ」
被告「出京後は誰も制限する者がありませぬから、無暗に買ひ喰をして益々胃をわるくしました。毎日々々何か菓子を喰はぬと気がすまぬ様になりますし おひおひ胃量も増してきまして六銭の煎餅や十箇の柿や八杯の鍋焼饂飩などはつゞけざまにチョロチョロとやらかしてしまひます 併し一番うまいのは寒風肌を裂くの夜に湯屋へ行きて帰りがけに焼芋を袂と懐にみてて帰り 蒲団の中へねころんで 漸く佳境へ入るとか 十年の宰相を領取すとかいってゐる程愉快な事はありません。イヤ思ひ出しても……」
どうですか、この食欲。「仰臥漫録」を読めば、晩年まで旺盛な食欲を保っていたことが分かりますが、若い頃からやっぱり食いしん坊だったんですね。
勉強は苦手?
赤鬼「コリヤさう涎を垂らしてはいかん 其方は前に表へ出るのはきらひだといったが始終内に居て読書でもしてゐたか」被告「イヤ余り読書もいたしません 詩を作りますばかりで其余はどうしてくらしたが覚えません 殊に学校の課業を復習するは一番の嫌ひで 暗記すべき課業は鬼よりもイヤお鬼様よりもいやでございました」
青鬼「そんなことをいふと其方の為にならぬぞ 出京後はどうであった」
被告「出京後も同じことで学校の課業は勉強したことなし 前の日に取て帰った包を其まゝにあけもせず翌日持て行きて 本が違って居て叱られてゐました 落第などをやらかしたこともありました 落第して楽体になった抔とむつかしく洒落てゐた様な横着物です」
ダジャレでごまかしていますが、学校の勉強は嫌いだったのでしょうか?子規はベースボールが好きでしたから、地獄にも野球ができるほどの広い場所があるか?なんて尋ねたりもしています。最初から最後まで客観的に自分の来し方を見つめ直しているのですが、病気になった原因を問われて、こと細かく陳述している部分などは本当にすごいです。
今より十年の生命
時に自分自身さえも茶化しながら法廷ドラマを書く。ユーモアのおかげで悲壮感は軽減されていますが、子規にとっては冷静に己の状態を見つめ直す作業でもあったろうと思います。赤鬼の求刑は「今より十年の生命を与ふれば沢山なり」というものでした。
「今より十年の生命」。こう書くことで子規は自分の運命を受け入れ、何事かを為さんとする覚悟、決意を固めたのです。ここから文学への傾倒に拍車がかかっていくのでした。
ちなみに「啼血始末」の最後は閻魔大王の「宣告は追ってするであらう」との言葉でしめくくくられています。それから12年後、子規は「墨汁一滴」で「地獄からの迎えが来ない」と閻魔をからかっています。伏線回収をきちんとしているのも面白いですよね。
参考文献 「子規全集」(講談社)9、11巻
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